人の心にも「地雷」がある昨日の衝撃的なニュースは、石狩市の高校一年男子生徒が中学時代の同級生の母親を刺殺した事件だ。今朝の新聞によると、背景には中学時代の「いじめ」があるようだが、事件を起こした少年は普段はおとなしく、不良タイプでもなかったという。 多分、いじめられても黙って我慢するような少年だったのだろう。 新聞ではまたもや「普通の生徒が」などと関係者の驚きを表現しているが、私はこの「普通の子が突然」という言葉を見るたびに、イヤーな気分になる。 この世に、「普通の子」なんていう子どもはいない。 みんなそれぞれ複雑な心を持ち、日々悩みや葛藤を抱えながら生きている。 「普通の子」と言われるようにと、自分の個性や心を押さえ込みながら生きているとも思う。 そして、どんな人間にも、触れられたら爆発しそうな「地雷のような部分」があるのではないか。 そのような「危険なものは自分にはない」と思う(地雷の存在に気付いていない)脳天気な人が、不用意に地雷を踏んでしまうことがあるように思う。 この事件の真相はまだわからないが、もしも普段はおとなしく、それまで凶暴な行為をしたことがない少年が凶行に及んだとするなら、どこかの時点で誰かが、彼の心の地雷を踏んだのではないか。(殺された人とは限らない・・念のため) 私の心の中にも、地雷はある。 もしも、何かのことで突っ込まれた時に必要以上に腹が立ったり、動揺してしまうことがあったら、それが地雷につながることだ。 私達は、何かでムキになる人に出会ったら、それをからかうような言動をすることがある。 ひょっとすると、それは地雷に繋がっているかもしれない。 そんなことを感じた時は、必要以上に責めたり突っ込んだりせず、そっとしておくのが親切というものだ。 これは、国と国との関係でも同様ではないか。 相手が嫌がっていることをムキになってやることはない。 私は、「首相の靖国神社参拝」は、その部類に入るのではないかと感じている。 2004年08月10日 |